民話

荒谷(あらや)の奥(おく)に「にあがり」という場所(ばしょ)があります。 このあたりにはイタチが住(す)んでいて、夜(よ)中(なか)にここを通(とお)る人(ひと)に後(うしろ)足(あし)で砂(すな)をかけるという話(はなし)が伝(つた)わっています。...
今(いま)は機械(きかい)で行(おこな)う田植(たう)えですが、昔(むかし)は田(た)んぼを耕(たがや)すのも、苗(なえ)を植(う)えるのも、みんな手作業(てさぎょう)でした。 このお話(はなし)は、そんな手作業(てさぎょう)で田植(たう)えをしていた頃(ころ)のお話(はなし)です。...
むかしから灰(はい)爪(づめ)集落(しゅうらく)には村(むら)の神社(じんじゃ)として「十二社(じゅうにしゃ)」がありました。 江戸(えど)時代(じだい)に幕府(ばくふ)が直接(ちょくせつ)治(おさ)める場所(ばしょ)「天領(てんりょう)」だった灰(はい)爪(づめ)は、ほかの集落(しゅうらく)に比(くら)べて年貢(ねんぐ)も安(やす)く、裕福(ゆうふく)だったのでしょう。...
今(いま)から370年(ねん)前(まえ)の江(え)戸(ど)時(じ)代(だい)のこと。 荒(あら)谷(や)集(しゅう)落(らく)を流(なが)れる谷(たに)川(がわ)が、金(きん)色(いろ)に光(ひか)り輝(かがや)く、という事件(じけん)が起(お)こりました。...
 「白米(はくまい)屋敷(やしき)」 上山田(かみやまだ)の中(なか)でも内郷(ないごう)小学校前(しょうがっこうまえ)のあたりの小字(こあざ)地名(ちめい)で、地域(ちいき)の人(ひと)たちはこの場所(ばしょ)を...
長岡市(ながおかし)宮本(みやもと)と別山(べつやま)の境(さかい)、八石(はちこく)峠(とうげ)にある「八(や)ツ手(で)の観音(かんのん)さま」について、こんなお話が残っています。...
むかしむかし、上(かみ)山(やま)田(だ)に源兵衛(げんべえ)という、ものすごい力(ちから)持(も)ち(ち)の大(おお)男(おとこ)が住(す)んでいました。 ある時(とき)、海(かい)岸(がん)のほうの村(むら)と上(かみ)山(やま)田(だ)で争(あらそ)いごとが起(お)きました。...
むかし上(かみ)山田(やまだ)に住(す)んでいた力(ちから)持(も)ちの大男(おおおとこ)『鬼源兵衛(おにげんべえ)』。 その源兵衛(げんべえ)には、まだまだいろんな伝(でん)説(せつ)が残(のこ)っています。...
昔(むかし)は大(おお)きな道(どう)路(ろ)がなかったので、上(かみ)山(やま)田(だ)から灰(はい)爪(づめ)へは、山(やま)を越(こ)えていきました。 その時(とき)に通(とお)る『稲(いな)場(ば)山(やま)(向(むこう)平(ひら))』には、昔(むかし)から天(てん)狗(ぐ)が住(す)んでいました。...
むかしむかし、いまの内郷(ないごう)小学校(しょうがっこう)の近(ちか)くに、永安寺(えいあんじ)というお寺(てら)があって、そのお寺(てら)の奥(おく)に、椿(つばき)の木(き)が生(お)い茂(しげ)った沢(さわ)がありました。...

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